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福岡地方裁判所 昭和58年(ワ)2992号 判決 1985年12月26日

原告

栁孝子

被告

緒方博道

ほか一名

主文

被告らは原告に対し、各自、金二八二万九、二八五円及びこれに対する昭和五五年六月二四日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その二を被告の負担、その余を原告の負担とする。

この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

原告訴訟代理人は、「被告らは原告に対し、各自、金七七九万八、〇〇〇円及びこれに対する昭和五五年六月二四日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決並びに右第一項につき仮執行宣言を求め、被告ら訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和五五年六月二四日佐賀県鳥栖市姫方町三四七番地の三先道路で、原動機付自転車を運転中、後方を進行してきた被告緒方博道の普通貨物自動車に追突され、左側に転倒して負傷した。

2  被告緒方博道は、原告の原動機自転車との間に適度な車間距離を保つ等の前方注意義務に違反して、本件追突事故を惹起したものであり、被告藤本株式会社は、被告緒方博道が運転していた加害自動車の運行供用者である。

従つて、被告緒方博道は民法七〇九条、被告藤本株式会社は自賠法三条に基づき、それぞれ本件事故による原告の損害を賠償すべき責任がある。

3  原告は、本件事故で被つた傷害のため、別紙一、治療経過記載のとおり、事故当日から昭和五八年六月二九日まで、小柳外科整形外科、嶋田病院、山口医院、小野医院、小西第一病院に左肩、左肘、手背、左膝等打撲擦過傷等の診断名で実通院日数合計二二五日、入院日数合計七六五日の治療をうけ、同月三〇日自賠責保険の後遺障害一四級の認定をうけ、更に治療を続けているところ、本件事故による損害は次のとおりである。

<1> 通院交通費 九万八、八八〇円

(八七〇円×二×二二日+一五〇円×二×二〇二日=九万八、八八〇円)

<2> 入院雑費 五三万五、五〇〇円

(七〇〇円×七六五日=五三万五、五〇〇円)

<3> 入通院慰藉料 二〇〇万七、〇〇〇円

<4> 逸失利益 四四六万四、一七一円

原告は、本件事故当時日本生命保険相互会社久留米支社に勤務し、事故前一年間に二四三万四、八〇九円、一ケ月平均二〇万二、九〇〇円の給与を得ていたところ、昭和五五年六月二四日の本件事故から昭和五八年六月三〇日の後遺症状固定時まで約三六ケ月間の得べかりし給与総額七三〇万四、四〇〇円(二〇万二九〇〇円×三六ケ月=七三〇万四、四〇〇円)から、その間右勤務先より給与として現実に支給された二八四万〇、二二九円を控除した残額四四六万四、一七一円。

(なお、右現実に支給された二八四万〇、二二九円には、昭和五五年八月以降昭和五六年一、二月頃までに受給した労災保険からの給付金本来加害者に求償する建前のもの)を含む休業補償金合計九七万四、四五七円が含まれているので、原告は、この九七万四、四五七円について請求を減縮する。)

<5> 弁護士費用 七〇万、〇、〇〇〇円

(治療費については、自賠責保険、労災保険、社会保険から支払われていて、原告の自己負担分がなく、また、後遺症状固定時以後の損害についても、自賠責保険から支給された後遺障害等級一四級の認定による保険金七五万円で逸失利益と慰藉料の額に相応し、賠償請求金の残額が存在しない。)

4  よつて、原告は被告らに対し、前項<1>ないし<5>の損害合計七七九万八、〇〇〇円(但し、千円未満切捨)及びこれに対する本件事故当日の昭和五五年六月二四日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

5  被告らは、原告が入通院を繰り返していた昭和五七年七月一五日頃から昭和五八年五月頃にかけて、原告に対し、昭和五六年一〇月三一日(労災による治療が打切られた日)までの治療を本件事故による傷害治療と限定したうえで、一六〇万円の示談金による解決案を提示しており、当時、右期限までの治療を本件事故による傷害の治療として認めていた。

従つて、本件訴訟の主な争点は、その後の昭和五六年一一月一日以降の原告の治療と本件事故との関係であるところ、そのうち、昭和五七年二月七日以降七三日間入院した小野病院の関係では、同病院の倒産後残存している診断書にある「自律神経失調症」が所謂外傷性頚部症候群(むち打症)であること、既に医学上の常識であり、同病院の治療は本件事故の傷害治療であつたと断定できる。

また、昭和五七年四月二〇日以降後遺障害固定時まで四三六日間入院した小西第一病院の関係でも、「甲状線機能亢進症、肝障害並冠不全、慢性胆のう炎」等と共に、常に「頭、頚部外傷後遺症」の診断名があり、昭和五八年六月三〇日の前記後遺症状固定時、右外傷後遺症の内容として、項部痛、頭痛、頚部運動制限、自律神経失調症、椎骨脳底動脈血行不全症状(複視、眼性疲労、めまい、難聴、耳鳴、平衡障害、悪心、嘔吐、心悸亢進)等が存在し、右外傷後遺症そのものがかなり重症であつたことを示している。

6  なお、本件については、被告らの加入していた生命保険会社が原告の治療を打切らせるためにとつた行動を見落してはならない。

つまり、被告らの加入していた生命保険会社の指示で動いたとみられる生命保険リサーチセンターは、昭和五六年初め頃から四月頃までの間、当時原告が入院していた嶋田病院の担当医に対し、医療内容についての執拗な調査を行い、同医師をして「患者(原告)の頭痛等がとれないのと生保リサーチセンターからの圧力のため精神的疲労が重なった。」と言わしめる程であつた。

むち打症治療の過程で、加害者側の言動に起因する極度のストレスをうけたがため、症状が悪化し、治療が長びく例は、必ずしも珍しいことではない。

二  答弁

1  請求原因1、2は認める。

2  同3の<1>ないし<4>は不知、<5>は争う。なお、末尾括弧書のうち、治療費についての原告の自己負担分がないこと、原告が勤務先から休業損害分賠償金として二八四万〇、二二九円を受領していること、原告が自賠責保険から後遺障害分賠償金七〇万円を受領し、後遺症関係の未払がないことを、それぞれ被告らの有利に援用する。

3  本件事故による原告の傷害は、受傷直後の小柳外科整形外科での診断が左肩、左肘等々の打撲擦過傷で一週間の加療を要する、という程度のものであつた。

しかるに、原告は、事故当日小柳外科整形外科で受診後、翌日の昭和五五年六月二五日から昭和五六年七月一六日まで嶋田病院に入通院し、更にその後、略々別紙一、治療経過のとおり、事故後三年を超える程の長期間、入通院治療を続けているところ、本件事故による原告の傷病は、右嶋田病院での治療期間中の比較的早い時期に治癒したと考えられる。

(一) 嶋田病院での初診時の診断名は、左肘部その他の挫創、挫傷等であつて、比較的早期に治癒するものであり、同病院に入通院中の原告の愁訴は、頭痛、背部痛、倦怠感であるが、他覚的所見はなく、果して入院の必要性があつたかどうかわからない。

なお、同病院の担当医師の昭和五六年一月一〇日付診断書では、「昭和五六年一月七日より生命保険セールス活動が可能」となつているが、原告の治療経過からみて遅きに過ぎた、といつて過言ではない。

(二) 昭和五六年七月二〇日以降同年一二月三一日まで入院の山口医院での初診時の診断名は、外傷性声門腫、陳旧頚椎神経症状群、頭部打撲脳症、椎間板ヘルニアであり、そのうち外傷性声門腫、椎間板ヘルニアが交通事故と無関係であることはいうまでもない。

そして、同医院の山口医師は、右頭部打撲脳症につき、本件事故から月日が経ち過ぎているため、本件事故と関係がない旨見解を述べ、陳旧頚椎神経症状群も、原告の言うのに従つて診断したのに過ぎず、むしろ症状固定後の治療を続けたかのように述べており、なお、原告の症状としては、自律神経失調症がもつとも顕著であつた旨述べているところ、普通、自律神経失調症の原因として交通事故が関係していることは少なく、むしろ家庭の問題等にその要因があるものである。

(三) 原告は、その後、更に、昭和五七年二月七日以降小野病院、同病院の倒産後同年四月二〇日以降昭和五八年六月二九日を超えて小西第一病院に入院しているところ、これらが最早、本件事故に起因する傷病治療のためでないことは、事故以降右(一)ないし(三)までの経過によつて明らかであり、小西第一病院の小西哲郎医師も、家族的な間題が最も強く原告の症状に影響した旨述べているところである。

(四) 以上のとおり、原告がうけた治療のうち本件事故と因果関係があるのは、内容的にも期間的にも限られており、被告らが賠償義務を負う治療期間は、嶋田病院で稼働開始可能の診断がなされる前日の昭和五六年一月六日までであつて、且つ、その間も本件事故と無関係な疾病治療との割合的な認定がなされるべきである。

4  請求原因5のうち、被告らが原告に、治療期間を昭和五六年一〇月三一日までに限定して、一六〇万円の示解金による解決案を指示したとの点を否認する。被告ら及び被告らが加入していた生命保険会社のいずれの側からも、何らかの権限ある人物が原告に右のような示談交渉を申入れた事実は全くない。

被告らとしては、従来から、昭和五六年七月頃までの嶋田病院での治療内容とその必要性を問題にしているのであり、遅くとも、原告が復職した同年一月頃までに症状固定があつたことを主張している。

5  同6の事実も争う。原告主張の生命保険リサーチセンターの担当者は、嶋田病院の担当医に原告の治療内容と、個室使用の必要性、及び使用されていた薬品中痔疾用剤の使途等につき照会したのに過ぎず、原告個人としては、その照会回答後に一度面接しただけであるのに、右担当医が感情的になつて、右回答書に、あたかも右照会が原告に精神的影響を与えたかのような誤つた記載を付け加えているものである。

第二証拠〔略〕

理由

請求原因1、2の事実、つまり、昭和五五年六月二四日佐賀県鳥栖市姫方町三四七番地の三先道路で、原告が原動機付自転車を運転中、後方を進行してきた被告緒方博道の普通貨物自動車に追突され、左側に転倒して負傷する交通事故が発生したこと、右事故について、被告緒方博道が民法七〇九条、被告藤本株式会社が自賠法三条に基づきそれぞれ原告の損害を賠償すべき義務を負うこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

そこで、以下、本件事故による原告の損害について判断するに、成立に争いがない甲一号証、同二、三号証の各一、二、同四号証の一ないし五、同五号証の一、二、同七号証、同九号証の一、二、同一一号証ないし一三号証、乙一号証、同二号証の二ないし五、同三号証、同四号証の一、同号証の二の一ないし六、同号証の三、同五号証の一ないし四、証人山口伊典、同小西哲郎の各証言、及び原告本人尋問の結果、弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。

すなわち、原告は、昭和一二年六月二二日生まれ、本件事故当時四三歳の女性であり、肩書福岡県三井郡大刀洗町の自宅に夫や子供らと同居し、日本生命保険相互会社小郡支部(久留米支社)に保険外務員として勤務していたこと、

本件事故は、信号機の設置されている交差点で、被告緒方博道が赤信号に従い、前の一台の車両に続いて一旦停車し、青信号に変つたのち、前の車両が左折したのに続き同交差点を直進すべく、対向右折車の前面を通り抜けるのに気をとられて、自己の左前方を直進しようとしていた原告車に気付かず、右前の車両の左後方から発進した直後の原告車の後部に追突したものであること、

本件事故当時、原告は、原告車と共に左側に転倒し、すぐ起きたけれども、右腕、左足、膝、手などに怪我をしていたため、被告緒方博道が事故現場で原告を被告車に同乗させて、近くの鳥栖市原町所在の小柳外科整形外科まで運び、受診させたところ、その際小柳医師の診断は、左肩、左肘、手背、左膝、下腿、足背部右足背部打撲擦過傷で向う約一週間の安静加療を要する、というものであつたこと、

しかし、原告は、その後も頭痛、背部痛その他種々の症状が続き、別紙一、同二、各治療経過記載のとおり、福岡県小郡市小郡所在の嶋田病院に、昭和五五年六月二五日以降七月二〇日まで通院、うち実通院日数二二日、同月二一日以降一〇月一九日まで九一日間入院、同月二〇日以降昭和五六年七月一六日まで通院、うち実通院日数二〇二日、次いで福岡県八女郡広川町所在の山口病院に、昭和五六年七月二〇日以降一二月三一日まで一六五日間入院、更に同県筑紫野市大字俗明院所在の小野病院に、昭和五七年二月七日以降四月二〇日まで七三日間入院、同病院の倒産後同市大字石崎所在の小西第一病院に、昭和五七年四月二〇日以降昭和五八年六月二九日まで四三六日間入院し、その後も昭和五九年二月六日まで右小西第一病院に入院して、それぞれ治療をうけたこと、

右嶋田病院での診断は、左肘部、左膝部及び左足挫創、頭部、頸部、胸部、左肩部、腰、臀部及び右足挫傷であり、原告の症状としては、左半身の痛み、頭痛、背部痛、ふらふら感等があつたが、通院、入院、再度通院という一年余の治療(対症療法及び理学的療法)を通じて良好な経過をたどり、担当医師により、昭和五六年一月七日頃から生命保険セールス活動可能と診断され(乙四号証の三のうち同年一月一〇日付診断書)、原告もその頃から一旦職場に復帰し、保険外務員としての職務に就いたこと、

しかし、原告は、その後、椎間板ヘルニアを患つた機会に、昭和五六年七月二〇日山口医院で受診し、以来同年末まで同医院に入院して治療をうけたところ、同医院での診断は、左肘、左膝等挫傷、陳旧頸性神経症状群のほか、外傷性声門腱、頭部打撲脳症、椎間板ヘルニア、両ソケイヘルニア、扁桃腺炎、狭心症(自律神経失調症)、蟯虫、肝不全等多種類に及んだが、入院中原告の精神状態が著しく不安定になつたこともあつて、同医院の山口医師が原告に、自宅に近い医療機関での受診をすすめ、原告もそれを受入れる形で同医院を自己退院したこと、

原告は、山口医院を退院後、更に、昭和五七年二月七日小野病院に入院し、約二ケ月後同病院の倒産により小西第一病院に転入院し、昭和五九年二月六日の退院まで通算約二年程入院治療を続けたところ、右小野病院での診断は、交通事故後遺症の疑、甲状腺機能亢進の疑、自律神経失調症、小西第一病院での診断は、概ね、肝障害並冠不全、頭頸部外傷後遺症、慢性胆のう炎、慢性膝関節炎であり、原告の症状としては、頭痛、背部痛、全身倦怠感、食思不振、胸部痛、時に動悸、吐気、胃部膨満感、上腹部痛等があつたこと、

右小野病院と小西第一病院に入院中、再度、担当医師から、原告の生命保険セールス活動不能の診断がなされていたが、小西第一病院では、昭和五八年六月三〇日別紙二、治療経過番号(7)の欄に記載のとおり、頭痛、めまい等原告主訴の8項目の症状につき後遺症固定の診断をし、その頃、同年七月一日頃から生命保険セールス活動の診断をしたこと、(なお、原告の主張によると、原告は自賠保険で後遺障害等級一四級の認定をうけた。)、

原告は、本件事故以前、通常の健康体であり、前記日本生命保険相互会社小郡支部(久留米支社)の保険外務員をして、昭和五四年六月以降昭和五五年五月までの事故前一年間に合計二四三万四、八〇九円(甲七号証、一一号証)、一ケ月平均二〇万二、九〇〇円の給与等収入を得ていたが、本件事故後の前記入通院治療の期間、全く就労できず、または不完全にしか就労できなかつたため、昭和五五年六月以降昭和五八年六月までの間、別紙三、給与等一覧表記載の収入しか得られず、その事故前の平均収入との差(休業補償金等も収入に繰入れ計算)が同表の「事故前の平均給与等収入月額二〇万二、九〇〇円との差額」欄記載のとおりであること(但し、事故前の平均給与等収入には臨時給分も含まれているので、右期間中の臨時給は逆に差益になる。)、

及び、原告は、別紙一、同二各治療経過記載番号(2)の嶋田病院への実日数二二日の通院に往復全部ハイヤーを使用し、そのハイヤー代が一回片道八七〇円、往復一、七四〇円であり、同番号(4)の同病院への実日数二〇二日の通院に往復共バスを利用し、そのバス代が一回往復三〇〇円であつたこと、

以上の各事実を認めることができる。

右認定した事実によれば、原告は、本件事故のため左肘部、左膝部及左足挫創、頭部、頸部、胸部、左肩部、腰、臀部及び右足挫傷の傷害を負い、事故当日の昭和五五年六月二四日小柳外科整形外科での受診後、翌日から昭和五六年七月一六日まで嶋田病院に入通院して治療をうけ、略々良好な経過をたどり、同年一月七日頃より生命保険セールス活動可能の診断をうけたものであつて、右嶋田病院での治療期間中原告に生じた損害は、すべて本件事故による損害として認めるのが相当である。

しかし、その後、昭和五六年七月二〇日以降の山口医院、昭和五七年二月以降昭和五八年六月までの小野病院と小西第一病院での各入院治療については、受傷後一年余の治療を経て、一旦、担当医師の就労可能の診断がなされたのちのものである点、及び事故当時の診断に比べ治療期間が異常に長期化している点、並びに山口医院での診断についていえば、外傷性声門腱、椎間板ヘルニア、両ソケイヘルニア、扁桃腺炎、蟯虫、肝不全、咽喉気喉気管支炎のように、本件事故との直接的な関係がないものや、狭心症(自律神経失調症)のようにその関係が必ずしも明確でないものがあり、小野病院と小西第一病院での診断についても、甲状腺機能亢進の疑、自律神経失調症、肝障害並冠不全、慢性胆のう炎、慢性膝関節炎等、同様に右関係がないか、明確でないものがある点などを考慮にいれ、その期間を通じ原告の被つた損害全部を本件事故に起因するものと認定するのは、不相当と考えられる。

そして、本件の場合、原告の傷害治療が長期化した原因として、事故と無関係な原告自身の体質的素因その他の寄与が考えられること、及び右認定した各診断の内容、原告の症状及び治療の経過等、本件に表われた一切の事実関係を総合し、本件事故との関係では、昭和五六年七月二〇日以降同年一二月末日までの山口医院での入院治療の期間につき原告に生じた損害の五割、その後昭和五七年一月以降昭和五八年六月末日まで、小野病院と小西第一病院での入院治療を含む期間につき同じくその四割を、本件事故と相当因果関係のあるものとして認めるのが相当である。

そうすると、本件事故による原告の損害は、<1>通院交通費が嶋田病院への九万八、八八〇円(870×2×22+150×2×202=98.880)、<2>入院雑費が二六万三、九七〇円(700×91+700×165×0.5+700×73×0.4+700×436×0.4=263.970)、<4>逸失利益損が別紙三、給与等一覧表の「事故前の平均給与等収入月額二〇万二、九〇〇円との差額」欄により、昭和五五年六月以降昭和五六年七月一九日までの分につき逆に六万四、一一三円の差益(但し、昭和五六年七月分は差損三万四、五一六円の約三分の二、二万三、〇一〇円で、且つ同月の臨時給一六万八、五九六円を含まない。)、同年七月二〇日以降同年一二月末日までの分につき一〇万三、一一四円(但し、同年七月分は差損三万四、五一六円の約三分の一、一万一、五〇六円で、且つ同月の臨時給一六万八、五九六円を含む。)(総額二〇万六、二二九円の五割、小数以下切捨)、昭和五七年一月以降昭和五八年六月までの分につき八二万七、四三四円(総額二〇六万八、五八六円の四割)、合計差引き八六万六、四三五円(-64.113+103.114+827.434=866.435)である。

そして、<3>原告が本件事故のための傷害及びその治療の過程で多大の苦痛を被つたことはいうまでもなく、その慰藉料の額は、傷害の内容、程度、入通院の期間、経緯等一切の事情を総合し、一二〇万円をもつて相当と認めるべく、また、<5>本件訴訟の経過後記認容額等を考慮にいれ、原告の負担する弁護士費用のうち四〇万円を被告らに帰せしめる通常損害として認めることとする。

以上により、原告の本訴請求は、右<1>ないし<5>の損害合計二八二万九、二八五円及びこれに対する本件事故当日の昭和五五年六月二四日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

よつて、原告の本訴請求中右部分を認容すべく、その余を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 田中貞和)

別紙一 治療経過

(1) 小柳外科整形外科で受診

期間 昭和五五年六月二四日(実通院日数一日)

診断名 左肩、左肘、手背、左膝、下腿、足背部、右足背部打撲擦過傷

(2) 嶋田病院に通院

期間 昭和五五年六月二五日以降同年七月二〇日まで(実通院日数二二日)

診断名 左肘部、左膝部、左足挫創、頭部、頸部、胸部、左肩部、腰、臀部、右足挫傷、頭痛、背部痛、ふらふらする。

(3) 嶋田病院に入院

期間 昭和五五年七月二一日以降同年一〇月一九日まで(入院日数九一日)

(4) 嶋田病院に通院

期間 昭和五五年一〇月二〇日以降昭和五六年七月一六日まで(実通院日数二〇二日)

(5) 山口医院に入院

期間 昭和五六年七月二〇日以降同年一二月三一日まで(入院日数一六五日)

(6) 小野病院に入院

期間 昭和五七年二月七日以降同年四月二〇日まで(入院日数七三日)

(7) 小西第一病院に入院

期間 昭和五七年四月二〇日以降昭和五八年六月二九日まで(入院日数四三六日、但し昭和五八年六月三〇日の後遺症認定後も引き続き同病院で入院治療をうけている。)

別紙二 治療経過

<省略>

<省略>

別紙三 給与等一覧表

<省略>

<省略>

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